小学生の頃
本音が言えなくなった日
小学6年生になるまで、絵を描くのが得意で、友人からせがまれるくらい、クラスでは人気がある方でした。ある日、ふざけていたつもりの、ほんの些細なやり取りが、友人を本気で怒らせてしまいました。教室の空気が一瞬で凍りついたのを、今でも覚えています。
悪気はなかった。それでも、自分の何気ない言動が、人をこれほど傷つけてしまうことがあるのだと知り、それ以来、本音を口にすることが怖くなり、自由に絵を描くことも減っていきました。
これは、物静かな一人の少年が、自分を偽り生きた歳月を経て、自ら未来を選び直し、本編を生きはじめるまでの記録です。いま、同じ場所に立つあなたへ向けて。
小学生の頃
小学6年生になるまで、絵を描くのが得意で、友人からせがまれるくらい、クラスでは人気がある方でした。ある日、ふざけていたつもりの、ほんの些細なやり取りが、友人を本気で怒らせてしまいました。教室の空気が一瞬で凍りついたのを、今でも覚えています。
悪気はなかった。それでも、自分の何気ない言動が、人をこれほど傷つけてしまうことがあるのだと知り、それ以来、本音を口にすることが怖くなり、自由に絵を描くことも減っていきました。
中学から、社会人へ
人に嫌われないように、本音を隠して「良い人」を演じる生き方は、中学、高校へと続きました。親を安心させたくて勉強を頑張り、夢のないまま、とりあえずそれなりの大学へ。誰も自分を知らない土地で生き直したくて、進学と同時に家を出ました。
就職先は、仲の良い先輩の一言がきっかけで選んだIT企業。その後、結婚を機に自治体職員へ転職しました。どれも間違った選択ではありません。ただ、どの場面にも「私はこれがしたい」という声がありませんでした。
行政の現場で
最初の配属は窓口業務でした。「税金泥棒」と罵られることもあり、顔を伏せて街を歩いた時期もあります。それでも経験を重ねるにつれ、行政の仕事の価値を実感するようになりました。数年ごとの異動で多様な職場を経験し、視野も大きく広がりました。
それなのに、三十歳を過ぎた頃から、自分がまるで羅針盤のない船のように思えるようになりました。仕事に不満はない。それでも、自分が何のためにそこにいるのかが分からない。足りなかったのは、職場でも仕組みでもなく、私自身の中の羅針盤でした。
自己理解の中で
最初の一歩は、建築士を目指して入学した通信制の大学でした。仕事との両立ができず中退しましたが、自分の好きなことに自分で投資する歯車が、ここから回り始めます。心理学やカウンセリングを学ぶ中で、生まれながらの「性格」があるのではなく、人は経験によって形づくられた信念に規定されているのだと気づきました。
やがて認知科学に基づくコーチングに出会い、体験セッションで「これだ」と思いました。私が望んでいたのは、心を癒すことではなく、自分らしく自由に生きられる状態に至ることだったのです。私はそのコーチのもとで、6か月のコーチングを受けました。
6か月の中で
心の檻の中にいるように、「こうしたい」と思っても踏み出せない。そのたびにやりきれなさを抱えてきた私は、自由に、自分らしく生きたかった。そしてその願いは、自分だけのものではないと気づきました。組織で働く一人ひとりが、社会の誰もが、そう生きられたら。
「誰もが自分らしく、自由に生きられる世界をつくる」。それが私のゴールになりました。6か月を終えたあと、認知科学に基づくコーチング理論を体系的に学び、コーチとしての道を歩みはじめます。
行動が変わる
ゴールが定まると、不思議なほどエネルギーが湧いてきました。人事の部署で、課内の業務改善プロジェクトを立ち上げ、職員と対話を重ねて上司に提案する。人前で話すのが苦手なまま、研修の講師も務めました。職員のキャリアに本気で関わるため、国家資格キャリアコンサルタントも取得しました。
そして幹部に直接かけ合い、キャリアデザイン研修と個別のキャリアコーチングを組み合わせた仕組みを庁内で立ち上げ、企画から対話まで一人で担いました。100人以上の職員と、300回を超える対話。すべてが思うようにいった訳ではありません。それでも、涙ながらに胸の内を語ってくれる人や、感謝を伝えてくれる人もいました。
独立の決断
もっと広く、組織の外にいる人の力にもなりたい。そう思いながらも、簡単には決められませんでした。四十代、働き盛りの時期。そして、妻と二人の子どもとの暮らしは、何より大切なものでした。
家族を不安にさせたくない気持ちと、自分に嘘をつかずに挑戦したい気持ちの間で、長く揺れました。仲間と互いにコーチングをし合う中で「きっとできる」という確信を育て、17年勤めた役所を離れました。
挑み続ける
独立後、何名かのクライアントとの出会いには恵まれたものの、思い描いたようには進みませんでした。仲間に囲まれていた頃とは違い、一人で前を向き続けることは、想像以上に難しい。コーチである私自身がそれを身をもって知り、改めて自らにコーチをつけました。
同時に、組織の中で感じてきた迷いや喜びを、より良い組織づくりに活かしたいという思いも育っていました。やがて自治体の人材育成を支援する仕事に加わり、今は全国の自治体で研修に登壇し、首長や幹部職員を前に人材戦略を語る場にも立っています。個人のコーチングも、一度も手放したことはありません。
今、そしてこれから
当たり障りなく、不完全燃焼のまま生きていた私が、今は可能性に満ちた日々を送っています。「誰もが自分らしく、自由に生きられる世界」というゴールは、あの頃から変わっていません。形を変えて、より大きくなっただけです。この変化に、特別な才能は必要ありませんでした。不安や焦りがあってもいい。必要だったのは、「未来を自ら選び直す」という、たったひとつの決断です。
過去がどうであれ、今の状況がどうであれ。
未来は、この瞬間から描きなおせる。
そして過去の意味さえ、変わっていく。
これは慰めの言葉ではありません。認知科学の理論と、私自身の人生が、その根拠です。
高校教師、フットボールコーチとしてキャリアを始め、認知心理学と社会学習論をもとに、誰もが実践できる自己変革のメソッドを確立しました。そのプログラムは、世界各国の企業、政府機関、教育機関、スポーツの現場に広く導入されています。
計算言語学の博士号を持つ認知科学者。ルー・タイス晩年の右腕として能力開発プログラムの開発に携わり、その理論を認知科学の立場から発展させ、体系化してきました。
二人の理論を正統に学び、苫米地テオレム認定マスターエバンジェリストとして、その体系を次の人へ伝えることを認められています。行政の現場で培った経験とともに、この理論を、一人ひとりの本編のために使っています。
かつての私がそうだったように、
自分の可能性を抑え生きている人が、
まだたくさんいます。
その人たちが、
自分らしく生きられるようになったとき、
今度はその人が、
また他の誰かを照らす光になる。
そんな連なりが広がる世界を見据え、
私はこの仕事をしています。